ノイズ

ノイズというものが好きで、よくギターのフィードバック・ノイズが効いている音楽を聴くし、自分でもシンセを使ってギンギンした音を出したりする。
自分では認識しきれないものと接するのが大好きで、映画でも、一秒かけないようなカットバック(一番好きなのは『CURE』のカットバック)なんかが好きで、マンガでもそういう表現を用いる作家が好きである。それが表出しているのが安永知澄の『白い本』であったり、高野文子の『バスで四時に』である。
たぶんノイズというものをそうやって捉えているんだろうな、と自覚していたが、そうでもないらしい。ノイズはノイズとして独立させて、好んでいるのだ。

起源、発出の仕方は同じはずなのに、なぜギター・ノイズとスクラッチでは、あれほど表現と衝撃が異なるのか。とにかくフィードバックは耳に甘い。ソニック・ユースゆら帝羅針盤なんかを聴いていると、その甘さが耳から離れない。
表現の枠から逸脱したものだから、破壊力があるのは納得出来る。「本来出るはずではない音」「本来出してはいけない音」を表現に織り込んでいることが素晴らしいことも分かる。
それを差し引いてもノイズが魅力的に聴こえるのは、自分にはまり込むものだからだろう。