爪の垢の二番煎じ

何かに憧れてものをつくる、というのは、ぼくたちの世代では逃れられない前提としてあって、現代において創作をしようとすると剽窃の危険性が自動的に発生する。
これは、先駆者が既にあることによって作品を世に出すことが困難になる、ということでもあるけれど、何より恐ろしいのは、「自分がやりたい事が既に人にやられている」と思うことでないか。自分の中にあるものを具現化するタイプの表現者は、今だいぶ危険に晒されている気がする。

加えて。ウェブ創作の発達は、一種の濾過だと思っている。山田詠美が「作家というのは、表現すること自体に飽き足らず、巨大な自己顕示欲を持ち続ける格好の悪い生き物だ」ということを書いていたが、まさにその通りだと思う。しかし人格として、衆目に触れる状態を作り出した時点で満足する人間というのも多くいる。シーンに登場出来る実力や才覚を持ちながら、作品をウェブにアップした時点で顕示欲を解消してしまう人間というのは絶対に存在している。そういう存在の救済として、最近ではウェブマンガの書籍化なんかが甚だしいけど、大体においてそういう作品は、既に自分のウェブスペースのために「均した」作品であって、他の作品とは根本を異にしている。
ウェブでの「一応の発表」には満足出来ず、表現への欲求を保ち続ける人間が現代での表現活動を許されているんじゃないかしら。