せいよく

僕は導入部の無いAVが嫌いである。行為だけをコラージュするような姿勢も気に食わないし、「何故まぐわうのか」という大前提が無いのもモヤモヤする。最近の流行で言えば「企画モノ」は、「こういうバカなことをしよう」という導入部が存在して、理由付けが済んでいるから好きである。


何故導入部が必要だと思うか? シナリオに入り込むことによって行為そのものに生々しさを付帯させるのも一つの効果だが、(自慰時は特に)即物的な性欲を持つ男性が、導入部をチンタラ楽しむ余裕を常に持つのは難儀だ。余裕が無いからこそ導入部を据え置く必要があるのだ。
サーチするからである。男はそういう時、早送りするのである。何を当たり前な、と思う人もいようが、顧みてみると意外とこの作業には意義がある。
まず再生を停止させ高速で早送りすれば、行為の脳天から爪先まで余さず観たい輩は、導入部のみをスッ飛ばすことに苦労するだろう。何てったってモニターが効かないのだから。かといって再生の状態を保ったままの早送りは案外遅い。彼ら(そして僕)はやきもきするだろう。一人暮らしの人間であればアレをアレしたままの姿で作業に没入出来ようが、たとえば兄のコレクションから盗み出したビデオを観たりしている中学生(そして僕)なんかは、色々忙しいのである。経験値も低いし。いろんなことに対する経験値が。自慰の技巧とかトラブルシューティングとかの経験値が。
行為の初期段階で足止めを食えば食うほど、完結への欲求は高まるわけである。切羽詰った人間にも余裕がある人間にも同様に立ちはだかる導入部とは、我慢汁を我慢させるだけの障害に他ならない。それをクリアすることで人間は疲労し、疲労によって弛緩し、無防備になるのである。ムボービであればキモチイーのである。


物事と接触するとき、無防備になることは大切である。過剰に楽しもうと構えるのも、どうせつまらないのだとネガティブになることも望ましくない。だから娯楽にある程度の作業を混ぜ込むのは重要な手順だ。バックアップという便利な手段によって失われたパスワードシステムなんかがいい例で、先んじて面倒な手順に傾注することで、その作業の完遂の瞬間に意識はリセットされ、楽しい娯楽をフラットな気持ちで始められるのだ。


だから映画やライブに行く時は、皆時間ギリギリを狙って行ったらどうだろう。急いで向かってたら間に合った、息が整いかけたら始まった、ってんなら「間に合って良かった!」とオープンマインドになってるから、素直に楽しめるんじゃなかろうか。