せいしんのこうよう

物質文明が発達して、当然のことながら神秘・魔術文明というのは衰退もしくは地下潜伏してしまっている。
スーファミ黄金期に発売された「天地創造」というゲームソフトに、こんなような意の台詞があった。
「人間はこれまで、自然を神として崇拝し尊敬してきた。しかし自ら傷つけた自然や動物を、今度は自分たちの手で保護しようとしている。一体いつから人間は神を保護できるようになったのか」
アニミズムとか自然管理については別の機会で弁をのたまうとして、問題はこういう原始的信仰だ。

依存してしまっている以上、物質文明をボロクソに批判するわけにもいかない(が、徒な発達だけでなく顧みる事も必要だとは思う)。しかし神秘主義の衰退というのは、それだけで危機的状況だ。
実際起こる事象といえば、祭りや信仰の権威の剥落。これが引き起こすのは?
精神の高揚、及び集団和の実感を得る機会の喪失である。
「祭り」や「儀式」というのは、決して不鮮明な信仰対象に妄信する愚行とは言えない。共に参加する人間と特殊な時間を共有する事で、精神的血縁者とも言うべき間柄になることもある。何より僕が懼れているのは、精神を高揚させる場が、これから減少の一路を辿る事である。僕は幸い、音楽を聴き映画を観て充分「アガれる」し、それがライブであったりすれば、昂奮の度合いもまた高まる。
これはひとえに集中の成せる業なのだが、どうやらサイキンのワカイモノは集中して娯楽に向わないようだ。あっ、遊びに集中出来ない・全力を尽くせないというのも物質文明の発達→効率主義の一般化による一つの弊害かもしれない。

つらつら批判はしているが、そろそろカウンターカルチャーの視座を改善する必要があるんじゃないだろーかとも危惧している。単なる反的体制は思春期の青少年でも作れるんだから、カウンターカウンターカルチャーとでもいうような、正反対のベクトルの思想(ex.神秘文明と物質文明)を止揚させられる、柔軟な理知を持った集団とかが台頭して……。僕もステキなパラダイムを構築出来るようになりたい。でももう眠い。もう寝ゆ!