打倒「へー、ゴダール好きなんだ。そこらへん観てりゃシネフィル名乗れると思ってんだろ」派

難解な作品というのがあって、芸術性を高めるために梗概を意味不明なものにしたり、オチが唐突過ぎたりする訳である。
このテの作品群の真の難しさは、肯定寄りの人間は「分かった面しやがって」という蔑視をされるし、否定寄りの人間もまた「理解しようともしねえくせに」という蔑視をされるところだ。

ファンとかレビュアー(と言えばいいのか? レビューしたがりさんを)は、ネット上では一種の共同体を作りやすい。例え「アンチと信者」という、ティピカルな論争を繰り広げる関係にしても、ひとところに集まるものだ。匿名性にあかせた忌憚無き意見が飛び交うわけだが、これはオフラインにおいても、もっと潜在的な形で現れる。
ぼくが「やっぱオリヴェイラの映画はカッチョイイよね。あの殺人的長回しなんか、映画における魔球だよ」とか言うと「はっはー、うん、まあねえー」みたいなリアクションを取られるように。

特定のイメージをファンに付帯させる創作者・創作物。解釈が難しい存在である。そういう対象を理性的に批評していくことに、最近面白みを覚えている。