漫画家五十音・あ

新井英樹という漫画家がいる。
彼の演出能力というのは、ぼくからしてみたらモンスターである。既視感を烈しく煽り立てる大衆の描写、性や暴力への(過剰なまでの)思い切りの良さ、情報過多な説明と、描画による「説明以上の説明」。何よりも、解釈集団としての読者に対する挑発意識と、それを制御し得る理性と手腕! 漫画的スキル以前に、彼の創作者としてのエナジーに、ぼくは常に圧倒されてしまう。
大自然の荘厳な風景よりも、人間にこそ可能性を見つける」と語る新井氏は、人間の感情を、極めて理性的な因果と、絶妙な台詞回しと描画で表現し切る。そこにデザインのセンスや言語感覚のヒケラカシ、それによる自己顕示などという要素は存在せず、ただ物語上重要極まる事件や発言、それらの真摯な描写が存在する。
だからこそ彼は群像劇を身上とし、高密度のドラマを並行して紡ぐことで、読み手に感動を整理させる時間も与えぬまま、ショッキングなストーリーを進める事に成功している。しかしながら、この手法は、不慣れな読者にとっては混乱を生む要因となっているし、特異な絵柄と共に、読者のための間口を狭める結果となっていることは否定しない。

新井氏は、人物を狂的なまでの書き込みでもって構築するが、恐るべきは、因果によって人物描写に説得力を持たせているにも拘らず、しばしば主人公に天分があるという点である。未だ定義が成されない「天才」という、甘美で、支配的に魅力的で、曖昧なものを、理性的な表現で構築することが如何に恐ろしいか?
ザ・ワールド・イズ・マイン」のモン、「Sugar」「Rin」の凛、「キーチ!!」の輝一。彼らは理屈で説明できない「何か」を持ち、周囲の人間に影響していく。これは多くの漫画に見られる展開ではあるが、新井作品の恐ろしいところは、その天才を変容させてしまうところであり、ややもすると曖昧になり、ともすれば説明不足になりがちな転換の契機を、極上の筆致で完成させる偉業は、評価せずにはいられないだろう。

新井氏の作品を読んでいると、彼は漫画のイデアを視たのではないかという心地がするほどに、ストーリーと演出のレベルを高く保ち続けていることを認識する。彼のストーリーは異常なまでに煽情的であり、彼の演出にはあまりに強い馬力がある。高校一年のときのコンビニで、だったと思う。ビッグコミックスペリオール誌上における「キーチ!!」第一回との邂逅。漫画ファンとしての重要なメルクマールだ。